私たち、来世もオタクがいいね。

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オタクは死んでも治らないということを日々綴っていく日記です。

東北地方太平洋沖地震−1日目−

今日、東京で大きな地震が起きました。
とりあえず、周りの知り合いも含め、私は無事ですが、
まずは、犠牲になられた方のご冥福と、未だ行方不明の方の無事を祈ります。


私は大したことは何もできませんが、
せめてこの地震のことを、私の愚行も含めて包み隠さず詳細に報告することで、
今後の皆様の何かのお役に立てればと思い、ココに記します。

地震発生(15時少し前)

昼食時間も終わり、午後からはみんなで会議室に集まって打ち合わせ。
議論も白熱してきた午後3時前…、地震は起こった。
実は、少し前にも震度3程度の地震があったこともあって、
みんな、この前のくらいのがきたな〜と軽い反応だったんですが、
いつまで経っても収まらない…、むしろ強くなってる…!?
誰かの「コレやばいんじゃないですか…?」の一言で、会議室を飛び出す一同。
職場はもう騒然。
その頃には、もう立っていられないほどの揺れに。
偉い人の「机の下に隠れろ!」という合図で、みんなで机の下に避難。
どのくらい揺れただろう…。
体感的には5分くらいは揺れてた気がする。
ようやく揺れが収まってきて、ちらほらと机の下から這い出してくるものの、
みんな突然のことに気が動転して、どうしていいかわからない状態。
そんな中、災害時の担当者が、外に避難した方がよいと判断し、
非常階段を使ってとりあえず、みんなでビルの外に避難することに。
途中、階段の踊り場には壁の塗装が剥がれ落ちているのをみて不安を覚えつつも、
このときはまだ、訓練の延長程度の軽い気持ちで避難していた。

ビル外への避難(15時頃)

ビル外に出た頃には、他のビルからも続々と人が避難してきていて、
ビルの前の道路は人であふれていた。
とりあえず、みんなして携帯を取り出し、状況を把握しようとあがいてみるものの、
案の定、携帯の回線はほぼ全滅。
唯一、ワンセグは見れるようで、ワンセグを見ている人の周りに集まり、
食い入るようにワンセグを覗き見る…。
「仙台で震度6強!」
こうして、初めて事の重大さを知った。
しかし、関東でも震度5強という揺れだったようで、テレビもパニック状態。
いまいち詳細な状況はわからない中でも、
体にハッキリと感じることができる余震は頻発していて、
軽い乗り物酔いのような感覚に襲われつつも、ただ待つしかないのだった…。

友人からのメール(15時過ぎ)

そんな中、パラパラとメールが届き始める。
どうやら、こういうときにはauが強いらしい。(w
そのメールの中に、同期の友人の安否を気遣うメールがあった。
…そこで初めて、今仙台に出張している同期の友人がいたことを思い出し、
最悪の状況も頭をよぎり、一気に血の気が引きましたが、
ほどなくしてその友人から無事を知らせるメールが届き、一安心。
しかし、その友人からのメールに書いてあった「もうダメかと思った」の文字に、
背筋が凍るような感覚を覚えるのだった…。

解散へ(16時半)

1時間半くらい外で避難していたのですが、何やら雨がちらつき始めたのをきっかけに、
ぞろぞろと職場に戻り始める一同。
こういうとき、雨には弱い私たち…。(w
戻ってくると、大きな被害はないものの、パソコンが傾いていたり、
書籍が倒れているのを目の当たりにし、地震の大きさを改めて実感。
ネットや電気は普通に繋がっているので、業務に戻れなくはないけれど、
さすがにこれから仕事をする気にもならず。
ほどなくして、偉い人から解散指示が出て、今日はここで業務終了。
と、解散指示は出たものの、全ての電車は見合わせの模様。
かといって高速も閉鎖され道路も大渋滞という状況。
正直、待っていても東西線が復旧する保障もないため、歩いて帰ることを決意。
とはいえ、我が家までは20キロ以上の長い道のり…。
運動不足の私にはとても不可能な気がする今日この頃。
そこで、錦糸町の近くに住んでいる同期の友人に泊めてもらうということで、
とにかく、そこまで歩いて行くことに。
かくして、友人と2人の都心脱出計画は幕を明けたのだった。

都心脱出計画(17時頃)

5時前に職場を出発。
目の前の歩道には同じように歩いて帰ろうとする人たちで既にごった返していた。
そんな中、ふと隣のビルを見ると、窓ガラスが割れ、周囲に散乱していました。
こんなのが頭上から降り注いだら…と考えると一抹の不安を覚えつつも、
雨も上がり天気も回復してきたので、とにかく錦糸町を目指して出発!
正直私は東京の地理はよくわからず、まず左右どっち?って感じの方向音痴なんですが、
幸い同行の友人が東京の地理に強かったので、スムーズに行くことができました。
途中、ヘルメットを被った人を見かけたり、外人さんに道を聞かれたりしつつ、
難無く銀座まで到着。
ココで余裕も出たのか、銀座の東急ハンズに寄って、欲しかった評判の耳かきをゲット。
この頃には、自分たちに対して実質的な被害は特になく、外部の情報も入らない、
そして、勝手知ったる悪友と一緒だったということもあって、
不謹慎ながら、この状況を少し楽しんでいる自分がいたのでした。

休憩(19時頃)

歩き始めて2時間。
革靴ということもあり、いい加減足も痛くなってくる。
加えて、お腹も空いてきたので、とりあえず休憩がてらメシ屋を探すことに。
とはいえ、吉野家とかは長蛇の列。
そこで、長時間歩いてきた自分を労う意味も込めて、居酒屋へ。
最初に行ったところは満席でしたが、次の店は何とかOK。
ようやく座ることができ、まずは一安心。
ただ、何やら店内は慌しい感じ。
どうやら、この地震で店員が出勤できず、かなり少ない人数で対応しているらしく、
注文が通っていなかったり、料理やドリンクがなかなか出てこない状況みたい。
まぁでも、とりあえず休憩できただけもヨシということで、
まずは2人の無事を祝って乾杯。
この頃には、携帯も復活してきたようで、溜まっていたメールが一気に届き始める。
親兄弟や実家の友達、大学時代の友達、会社の友達などなど、
いろんな人から安否を心配するメールをもらい、ちょっと泣きそうになりつつも、
まだ状況を把握できていない私は、余裕でビールを飲んでいるのだった。

友人宅到着(22時半頃)

休憩中、電車の情報は確認していたんですが、まずJRは全滅。
地下鉄の方はボチボチ動き始めたようですが、
私の住んでいる地域の辺りは、まだ動かない模様。
ということで、2時間くらい休憩したところで、渋々再出発。
さらに、歩くこと1時間半…。
足はもうパンパンになり、携帯の充電も切れつつも、何とか友人宅に無事に到着。
幸い、友人宅は地震の被害はほとんどなく、まずは一安心。
何気なくテレビをつけたら、いきなり津波被害の映像が飛び込んできました。
さすがに、酔いも吹き飛んで、ただ無言でテレビの情報に耳を傾けるのだった…。

帰宅の可能性(23時頃)

テレビを見つつ、今日中に自宅に帰れる術を見つけるべく、ネットで交通情報をチェック。
相変わらず東西線は無理。
ただ、情報によると都営新宿線は動き出したらしい。
都営新宿で本八幡までいけば、あとは歩いて行けなくはない…。
正直、ウチの状況も気になるし、一部の望みをかけて、都営新宿線で帰ることを決意。
というわけで、疲れた体に鞭打ち、最寄り駅に到着。
…。
まぁ…、ある程度予想はしてたけど、
例えは悪いけど、ココはコミケの壁サークルの最後尾ですか?って感じ。
どうやら、今日は未明まで運行するらしいので、ちょっと時間をおいたあと、
再度様子を見に来ようということで、何故かゲーセンに向かうのであった…。

※脱出ルート

ちなみに、私が歩いた脱出ルートはコチラ。

まぁ、距離にすると8.3kmということで、案外大した距離ではなかったかな。